雑誌連載9/2号 「長崎から」が終わった さだまさし / TVstation
雑誌「テレビ・ステーション」。さだまさしさんの連載。
「もう愛の唄なんて詠えない」2006年19号。15頁。第45小節。
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「長崎から」が終わった。借金苦の中で始めた「長崎から」。
スポンサーもつき、「長崎から」が僕にとって、当然のイベントに
なった。観客にも。
始めた時と気持ちは変わりないか? エネルギーは涸れていないか?
それを考えるために、一度現場を離れることにした。
歌わない、来年の8月6日。僕の答えは、そこに潜んでいるだろう。
観客にも。
「長崎から」終演後、感想を多くの人から求められた。
感極まって泣いたりすることは無かった。
20回。いつも、「長崎小夜曲」を歌いながらステージに出るとき、
「今日死んでもいい」、来年はできないかもしれない、そんな
ギリギリのところで続けてきた。
いつも最終回だったのだ。
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「観客にも」という言葉が2回使われた。
「観客」というより、「参加者」として、考えて、行動して欲しい。
そう感じられた。
観客は泣いたが、さださんは泣かなかった。
その続きは、原文でどうぞ。今回も、いい締めでした。
「もう愛の唄なんて詠えない」2006年19号。15頁。第45小節。
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「長崎から」が終わった。借金苦の中で始めた「長崎から」。
スポンサーもつき、「長崎から」が僕にとって、当然のイベントに
なった。観客にも。
始めた時と気持ちは変わりないか? エネルギーは涸れていないか?
それを考えるために、一度現場を離れることにした。
歌わない、来年の8月6日。僕の答えは、そこに潜んでいるだろう。
観客にも。
「長崎から」終演後、感想を多くの人から求められた。
感極まって泣いたりすることは無かった。
20回。いつも、「長崎小夜曲」を歌いながらステージに出るとき、
「今日死んでもいい」、来年はできないかもしれない、そんな
ギリギリのところで続けてきた。
いつも最終回だったのだ。
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「観客にも」という言葉が2回使われた。
「観客」というより、「参加者」として、考えて、行動して欲しい。
そう感じられた。
観客は泣いたが、さださんは泣かなかった。
その続きは、原文でどうぞ。今回も、いい締めでした。
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